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リキッド消費とは
CDラックに並んでいた音楽はSpotifyに、写真アルバムはスマートフォンのクラウドに、財布の中の現金は電子マネーに。私たちの消費を構成していたモノは、いつの間にかデータやサービスへと置き換わっています。
「リキッド消費」は2017年に英国の研究者らが提唱した概念で、現代の消費スタイルを「短命性」「アクセスベース」「脱物質」の3つの特徴で定義しています。短命性とは、モノやサービスの価値がその場の状況に左右されやすく長続きしない傾向。アクセスベースとは、所有せずとも価値にアクセスできればよいとする考え方。脱物質とは、同じ価値を得るために物質を少ししか、あるいは全く使わないことです。
青山学院大学の久保田進彦教授はこの3つに加えて「省力化」も重要な特徴だと指摘しています。消費に伴う時間や労力をできるだけ少なくしようとする傾向です。おすすめ機能やランキング、ワンクリック購買といった仕組みが、選択や判断の負担を軽減し、流動的な消費を下支えしています。
押さえておくべきは、リキッド消費が若者だけの現象ではないという点です。デジタル化、グローバル資本主義、プラットフォーム経済といった複数の構造的要因に支えられた中長期的な社会現象であり、世代を超えて消費行動全体に広がっています。
リキッド消費が反映された社会・生活の変化や事例
事例①:サブスクリプションが「所有」の意味を書き換えている
Spotifyの月間アクティブユーザーは全世界で6億7,500万人を超えています。Netflix、Amazon Prime Videoは生活インフラとして定着し、映画やドラマの消費は「DVDを買う」行為から「月額課金でアクセスする」行為に変わりました。ファッションでもairClosetのような月額制レンタルサービスが広がり、洋服を買って溜め込むのではなく、季節やシーンに応じて借りて返すサイクルが定着しつつあります。
この構造の背景にあるのは、リキッド消費の「アクセスベース」と「短命性」の組み合わせです。所有に伴う金銭的・心理的負担を避けながら、気分や状況に応じて様々なものを試せる。高額な製品でも気軽に利用できる。サブスクリプションは、リキッド消費の思想をビジネスモデルとして構造化したものだと言えます。
一方で、モノを持つことで生まれていた「愛着」や「物語」は、アクセスの利便性の中で薄まっています。CDのジャケットを眺めながら音楽を聴いた時間、お気に入りのレコードを友人に貸した経験。便利さが増す裏側で、人とモノとの間にあった結びつきが緩やかに解かれている点は見落とせません。
事例②:「流れてくる」情報設計が購買の起点になっている
久保田教授によれば、若者世代に特徴的なのは「流れてくる」という情報接触のスタイルです。自分で能動的に調べるのではなく、SNSのフィードに表示された情報が購買の検討対象になる。興味のあるものも欲しいものも、流れてくるのが前提であり、流れてこないものとは出合いにくい構造が生まれています。
さらに興味深いのは、気になる商品が流れてきてもすぐには買わないという点です。スマートフォンにメモしたりスクリーンショットを残したりして「寝かせる」。その間に情報が再び流れてくることで確信が高まり、「やっぱり欲しい」と判断できた段階で購入に至る。失敗や後悔を避けるために、時間をかけて判断の確度を上げているわけです。
この行動は受動的に見えますが、膨大な情報環境の中で効率的に意思決定を行う適応的な戦略です。ここにはリキッド消費の「省力化」の特徴がそのまま表れています。企業にとっては、「流れてこないものとは出合えない」という構造の中で、いかに自社の商品を消費者のフィードに乗せるかが実務上の最重要課題になっています。
事例③:シェアリングが「所有コスト」からの解放を加速させている
カーシェアのタイムズカーは2024年末時点で会員数450万人を突破し、自家用車を持たない都市生活者の移動インフラとして機能しています。Airbnbは世界で10億人以上のゲストを迎え、宿泊の選択肢を根本から変えました。
シェアリングエコノミーは、所有に紐づく維持管理コスト、保管スペース、陳腐化リスクから人々を解放し、「必要なときに、必要なだけアクセスする」状態を標準にしています。リキッド消費の「アクセスベース」と「脱物質」の特徴がそのまま社会実装された形です。
注目すべきは、この概念がデジタル資源にまで拡張している点です。メルカリが開始した「メルカリモバイル」では、余ったデータ通信量を1GB単位で売買できる日本初の仕組みが導入されました。目に見えない「ギガ」まで、余っている人と足りない人の間で循環させる。リキッド消費の流動性が物理的な境界を超えて広がっていることを示す事例です。
ただし、所有が減るということは、それに紐づく帰属意識やコミュニティとのつながりも変容するということです。マイカーがなくなれば「ドライブ文化」が変わり、賃貸が当たり前になれば「地元への愛着」の形も変わる。合理的である一方で、帰属や定着に対する人間の根源的な欲求との間に緊張関係が生まれている点は、引き続き観察が必要です。
事例④:「お約束消費」と「プリセット思考」が選択のコストを下げている
友人との食事で「失敗しない店」をGoogleマップの評点で選び、旅行先では評判の良いスポットをランキング順に巡る。久保田教授が「お約束消費」と呼ぶこの行動は、定番を選んで「外さない」安心感を得るためのものです。同時に、自分の好みを押しつけず相手に不快感を与えない気配りにもなっています。
その背景には「プリセットベースの思考」があります。スマートフォンのアプリの多くは、いくつかのボタンから好みを選ぶだけで望ましい結果が得られるように設計されています。幼い頃からこの環境に浸かってきた若者世代は、与えられた選択肢の中で考える傾向が強まっています。何をすべきかをゼロから考えるのではなく、提示されたオプションの中から最適解を選ぶ。「チョイスパフォーマンス(チョイパ)」の追求です。
この傾向を「主体性の欠如」と捉えることはできますが、リキッド消費の文脈では、流動的な消費環境において心地よさを手早く獲得するための適応戦略として読み取る方が的確です。企業側の示唆は明確で、選択肢を足し算で増やすのではなく、引き算で絞り込む「レス・イズ・モア」の設計が求められています。消費者が「選ぶ行為そのもの」に負荷を感じている時代のなかで、キュレーションの精度がブランドの価値を決める要素になりつつあります。
事例⑤:「コト」すらも流動化し、消費の速度と密度が分離し始めている
「モノからコトへ」はマーケティングの定番フレーズですが、リキッド消費の視点から見ると、その先に進んでいます。「コト」すらも固定されず、一瞬で消費される構造が広がっているのです。
有馬温泉「湯の花堂本舗」の炭酸せんべいは賞味期限5秒。焼き立てで柔らかい状態は数秒で失われ、固まってしまいます。鳥取「湯ノ塩」の塩どら焼きは賞味期限1分。「その場、その瞬間」でしか味わえない価値、いわゆる「トキ消費」に人々は行列を作っています。
一方で、普段の食事時間は平均89分と過去最短を更新し、タイパ重視の時短食ニーズは高まり続けています。一見矛盾する二つの動きですが、これはリキッド消費の構造を正確に反映しています。日常は省力化して流動的に回す。だからこそ、非日常には「短命だからこそ価値がある体験」に投資する。消費の速度と密度を使い分けるこの行動は、まさに流動的な消費者心理そのものです。
もう一つ見落とせないのは、「モノかコトか」の二項対立が成立しなくなっている点です。ディズニーリゾートは売上の約3割を物販が占め、推し活市場ではコンサートの感動をアクリルスタンドという「モノ」に定着させています。コトの熱量をモノという実体価値にシームレスに変換する循環の設計力こそが、流動化する消費の中で企業が問われている能力です。
まとめ:流動化する時代に「何を固定するか」が問われている
5つの事例を通じて見えてくるのは、リキッド消費がデジタル化・プラットフォーム経済・情報過多という構造的要因に支えられた不可逆の潮流であるという事実です。消費は軽く、速く、流動的になり、意思決定や思考の様式も変わりつつあります。
しかし、すべてが流動化する時代だからこそ、「何を固定するか」という選択が逆説的に重みを持ちます。サブスクでアクセスする中に一生聴き続けたい1曲はないか。シェアリングで使い分ける中に、自分の定番として持ち続けたいものはないか。
リキッド消費は「持たない自由」を手にした時代の消費構造です。その中で、あえて「持つ」と決めたモノや体験には、以前にも増して深い意味が宿ります。企業も個人も、「流すもの」と「留めるもの」の見極めを求められている──それがリキッド消費の時代における実務上の本質的な問いです。





